のいづんずり 「抱擁」 「人間は金の為に死ねるか」

抱擁

抱擁

1980年に京都で結成されたバンドの、1985年発表のファースト。リマスタリングに中村宗一郎。


突然リイシューされたこれらの作品。俺は戸川純がゲスト参加してると聞きつけてすぐさま手を出したのですが、下手すると純ちゃん以上にこのバンドは劇薬でありました。80年代ニューウェーブ、その中でも特にアングラなノイズ/アヴァンギャルド類から多くの電波を受信してしまったのでしょう。スッカスカでぎこちないリズム隊 (ハイハットほとんど使用せず) 、無機質な不協ノイズばかりでまともなフレーズが一つもないギター、そこに民謡/童歌のような和風土着メロディが被さる。音の隙間を多く取って不穏な緊張感を煽るアンサンブル。奇妙な音響処理の施されたヴォーカル/コーラスも含め、もう何もかもが異形。ここで広がる音景色は間違いなく日本だけど、おそらくこの世ではない。民謡的でありながらノスタルジックな郷愁など微塵もないし、祭囃子的でありながら肉感的な躍動からは逆行するばかり。全てが既存のロック/ポップスの様式から逸脱するための手段 (=ニューウェーブ) 。何よりも表現衝動のみが先走った感はありますが、間違いなく真の意味でオルタナティブな存在感を発揮しています。


Rating: 7.4/10



人間は金の為に死ねるか

人間は金の為に死ねるか

こちらは1986年発表のセカンドにして最終作。メンバーチェンジが勃発し、戸川純は不参加。


前作の悪ふざけスレスレな実験を経て、音響処理はより狂気的に、アンサンブルは音楽的な充実を見せるようになりました。ほぼ全てに 「ダンシング」 のタームが冠せられた14曲。 「ダンシング・オブ・ハタハタ」 「ダンシング・オブ・ホロホロ」 などは The Pop Group あるいは Gang of Four のソリッドなファンクネスに JAGATARA のいなたい狂騒を合わせ、シュールの奥地へ迷い込んだかのような凄まじさ。また 「ダンシング・オブ・ムッチラモッチラ」 「ダンシング・オブ・フー」 などで見せるヌラヌラした艶めかしさはゆらゆら帝国が 「空洞です」 で辿り着いた境地を20年先取りしてたかのよう。例えば 「かごめかごめ」 のような民謡に在るそこはかとない陰鬱さ、子供心にトラウマを植え付けかねない湿り気たっぷりのダークネス。それをニューウェーブ/ポストパンクの心意気で魔改造し、何物にも似ない無二の個性を確立させた楽曲群。おそらく80年代に限らずいつの時代に聴いても異形として映るモノリスのような存在感。もう何て言ったら良いか分からんけど、知覚の扉を開きたい方は是非どうぞ。これだから80年代に対する好奇心は尽きることがないな。


Rating: 8.8/10