1980年代ベストアルバム30選(邦楽編)

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もうすぐ終わりますね。昭和が。


一時的あるいは継続的な再結成ブームが始まってからもう長いこと、少なくとも10年くらいは経過しているように思いますが、今年に入ってからも Z.O.A がオリジナルメンバーでの再演を果たしたり、亜無亜危異が GASTUNK と対バン共演したりと、いったい今が何年なのか分からなくなる勢いで過去のレジェンドが復活しています。自分は1983年生まれであり、80年代に最盛期を迎えていたミュージシャンの全てが後追いなわけで、80年代という時代を追うごとにその新鮮さと懐かしさがダイナミックに混ざり合った世界への憧憬は深まるばかりでした。なので復活という形ではあっても当時の空気感を少しでも直に体感できるのは非常に有難いこと。当時の音楽シーンは様々な意味で過渡期、特にインディーズ界隈は今では考えられないほどの混沌とした様相を呈していたと聞きます。その激動の荒波の中で産み落とされてきた作品のうち、自分が特に衝撃を受け、今現在の耳で聴いてもひどく刺激的だと感じた作品、という基準で以下に30枚のアルバムリストを作りましたのでよろしければどうぞ。ちなみに邦楽編と銘打ちましたが洋楽編はありません。




30. タコ 「タコ」

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山崎春美を主犯格とし、坂本龍一から香山リカまで80年代オルタナティブの重要人物がこぞって顔を出しては抜けていく不定形音楽集団の初作品。楽曲毎に参加メンバーがバラバラなら音楽性もてんでバラバラ、その上に歌詞のテーマは薬物、差別、テロ、天皇等々タブーのオンパレード。ここに山崎春美自身のどのような思惑が詰め込まれているのかは分からないし、むしろ彼本人の意思というのは皆無なのかもしれません。元々カルチャー系雑誌の編集者だった山崎にとって、この作品は音楽の体裁を取った80年代アングラ界の生々しいルポルタージュなのかも。その意味で絶対にこの時代にしか生まれ得ない作品。




29. のいづんずり 「人間は金の為に死ねるか」

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京都出身の5人組。ノイズ+せんずり=のいづんずりという大概なバンド名ですが、初期非常階段のようなドギツいパフォーマンスをしているわけではありません。例えば The Pop Group が英国から、Talking Heads が米国からの視点で土着的ファンクネスを独自解釈していたように、このバンドは民謡や祭囃子とアフロ/ファンクを組み合わせた新種のダンスミュージックを志向していました。しかしながら表拍でリズムを取る祭囃子特有のグルーヴは、ダンサブルな快活さよりもむしろ呪術的な重苦しさの方が強く、日本伝統の暗部を匂わせる歌詞も相まってひどく狂気的な、それこそヌラヌラでヌメヌメな強烈音像。




28. MADAME EDWARDA 「ヒステリックな公爵夫人」

ヒステリックな侯爵夫人

まだ日本でヴィジュアル系という言葉が生まれる遥か前、AUTO-MOD らと結託してゴシック/デカダンの闇を日本にも根付かせようとしていた伝道師のうちの一組。Peter Murphy 直系の呪術的な空気を振り撒くヴォーカル、鋭角の切れ味で迫るバンドアンサンブルも非常にスリリングなもの。例えばこの手のゴスに限らず、パンクやメタル、いやロック/ポップス全般においてこういった同時代の潮流を敏感に嗅ぎ取り、国内にプレゼンする翻訳家というのはいつの時代でも重要なものですよね。首謀者 Zin-François Angélique は今現在もクラブイベントを開催するなど現役バリバリ。筋金入りはやはり一味違う。




27. アナーキーアナーキー

アナーキー

何かと悪名高い埼玉発のパンクロックバンド。上の MADAME EDWARDA がゴスの翻訳家ならこちらはそれこそパンクの翻訳家…まあ彼らにどれほどその自覚があったかは定かではないですが、少なくともパンクというものをサウンドやアティテュード含めて愚直なまでに体現していたのは明らか。今聴くと音は随分とそつがなくて素朴だし、The Clash などの日本語カヴァーに至っては直球過ぎてもはや微笑ましさすら覚える。しかしながら彼らの内に溜まった鬱屈を濁声でズバズバ言ってのける痛快さが、当時の悪ガキをどれだけパンクの沼に引きずり込んだかは容易に想像できます。必要悪とは正に彼らのこと。




26. SODOM 「TV MURDER」

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謎だらけの80年代インディーズシーンの中においても、この SODOM を率いたヴォーカリスト ZAZIE は本当に謎の多い人物という印象が強い。このアルバムの前はハードコアパンク、その後はハウスという訳の分からない変遷を辿っているというのが大きいからなんですが、今作を単体で聴いてみても、その衝動の行き着く先が全く読めなくて恐怖すら感じる。ポストパンク経由後にインダストリアルの波動をかなり早い時期から察知しての、鉄槌のようなメカニカルビートと野獣そのものの野太い咆哮が交錯するアヴァンギャルド音響大作。聴く時は常に正座です。




25. G-SCHMITT 「STRUGGLE TO SURVIVE」

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当時のサブカルチャー界隈における女性アイコンと言えば、エキセントリックな戸川純Phew がまず挙がり、次いでそれらとは別種の耽美的な魅力を振り撒く可憐な存在として、D-DAY の川喜多美子とこの G-SCHMITT の SYOKO がツートップを張っていたと聞きます。このうち D-DAY の方が童話風の柔らかくドリーミーな世界観を展開していたのに対し、こちらはゴス/ポジティブパンク由来の刺々しさを打ち出した、より緊張感のあるダークネス。ただその鋭さには触れたら容易く割れてしまいそうな繊細さも内包しています。一切再発されない音源の稀少さも相まって、幻のような危うさが特に色濃い。




24. RUINS 「RUINS」

I, II & III

現在は Vampillia の一員としても活躍中の辣腕ドラマー吉田達也を擁するデュオの初作品。今でこそ Converge や The Dillinger Escape Plan のような所謂カオティックハードコア、あるいは HellaLightning Bolt といったバカテクノイズロックが好意的に認知されていますが、その道を20年以上も前にこのルインズが通過済みというのは、改めて考えてもこの時代狂ってるなと痛感させられますね。ベース×ドラムの最小編成による最大効果の爆裂セッション、しかし即興ではなくきちんと理論的に作曲されたが故のきめ細やかなメリハリもあり、ダイナミズムは一層マシマシ。極上のロックンロールと言ってしまおう。




23. BUCK-TICK 「TABOO」

TABOO (デジタル・リマスター盤)

ちょうどバンドブーム全盛の時期にデビューを果たしたミュージシャンは、それこそ The Beatles ばりの性急なリリースペースを要求されていたように思います。BUCK-TICK も約2年半の間にフルレンス4枚という多忙極まる状況を強いられていたわけですが、その中で彼らは出自のポジティブパンクあるいはグラムロックが持つ先鋭性と、当時の時流に則したヒット性のあるポップネスを両立しようと試行錯誤しており、その過渡期にあたるのが今作。オープナーに最も実験的な「ICONOCLASM」、ラストに「JUST ONE MORE KISS」という両極端な2曲で挟まれているのがその苦悩を物語るよう。人に歴史あり。




22. YAPOOSヤプーズ計画」

ヤプーズ計画

女優としての戸川純の魅力が炸裂する「バーバラ・セクサロイド」や「肉屋のように」はもちろんクラシックですが、よく聴き返すと「ロリータ108号」の歌詞は強く印象に残ります。誰かを愛すると自爆装置が作動するようにパパに改造されたストイックロリータ、という設定。幼少期から極端な箱入り状態で育ち、時には女優の夢を踏みにじられるような言葉を浴びせられ、強い劣等感が根付いてしまったと彼女は自身著の歌詞集の中で吐露しています。SF モチーフが多用される今作の中、唯一この曲では自己を投影したリアルな葛藤が見られる。「好きなら抱いてみせて 絶望へとひた走ってよ」あまりにも痛切な。




21. YELLOW MAGIC ORCHESTRA 「BGM」

BGM

東洋訛りの似非エキゾチックなメロディに、空間的でユーモラスなサウンドデザイン。そういった YMO の楽曲を聴くたびに、自分は何だか脳ミソをあちこちから擽られているような心地になります。そのむず痒い刺激が特段強く表れているのがこの4作目。ヌルリとした艶めかしさと不穏な翳りが全曲に通底し、シングルカットされた「CUE」や「MASS」、「1000 KNIVES」のカヴァーにしてみても、耳馴染みの良いポップネスを敢えて汚すようにしてアンバランスなシンセサウンドが飾り付けられ、到底 BGM にはならなさそうな不思議な磁力を放ってる。この胡散臭さや湿り気で濃密になった雰囲気は今作特有のもの。




20. ムーンライダーズ 「CAMERA EGAL STYLO / カメラ=万年筆」

カメラ=万年筆スペシャル・エディション

鈴木慶一御大が現在所属しているバンド Controversial Spark 、その「賛否両論の閃き」というバンド名はそのままムーンライダーズの表現姿勢にも符合します。フォーク/ブルースの円熟味を発揮したデビュー作「火の玉ボーイ」の時点ですでに一定の評価を得ていたであろう、にも拘らずニューウェーブ/ポストパンクの波動を真っ向から受けた結果、作品を重ねるごとにドラスティックな変化を続けることとなった彼ら。様々な名作/問題作を含むそのカタログの中から1枚を選ぶとなると、それこそ意見が激しく分かれると思いますが、自分はコレを推します。メロディ、音響実験、コンセプト、何もかもが粋。




19. FRICTION 「軋轢」

軋轢(紙ジャケット仕様)

正直なところ東京ロッカーズ周辺、特にフリクションに対しては最初は苦手意識が強くありました。どのパートを取ってみてもあまりに殺伐として色味が無く、取っ掛かりを探すのにえらく難儀したから。多分「パンク/ポストパンクの名盤」という前情報を仕入れて聴いたのが良くなかったと思う。少なくともこの盤を単体で切り取れば、パンクと呼ぶには醸し出す空気が冷徹すぎ、ポストパンクと呼ぶにはストレートなダイナミズムが強すぎる。おそらく当時の彼らの内で混在した多方面からの影響を、生々しい緊張感が際立ったサウンドとして吐き出した、一定の場所に収まりきらない衝動のドキュメント。




18. YBO² 「ALIENATION」

ALIENATION

FOOL'S MATE を創刊して日本にオルタナティブの新たな評価軸を示した、というだけでも北村昌士が日本の音楽シーンに残した功績というのは甚大なものだと思いますが、それに留まらず彼はトランスレコードを設立してこの YBO² を結成し、自身の主義思想を演者としても体現したということで、彼こそ正しく表現に全霊を注いだ人間だったと畏敬の念は深まるばかり。再発盤では削除されていますが、オープナー「AMERIKA」は本来 Mickey Mouse Club March が冒頭に存在し、それをぶった斬ってのプログレッシブ・ジャンク・ハードコア開幕という構成でした。ポリティカルな示唆を散りばめた痛烈批判の暴風雨。




17. SOFT BALLET 「EARTH BORN」

EARTH BORN

Nine Inch Nails はインダストリアルや EBM 、あるいは Depeche Mode を筆頭とする耽美的シンセポップからの影響を受けながら、ロック由来の激情を注入して「Pretty Hate Machine」を産み出しました。奇しくもこのアルバムはそれと同じ年にリリースされています。遠藤遼一の全身から迸る野性味、森岡賢の原色軟体ポップネス、藤井麻輝の冷徹なアグレッション。これら三者三様の個性はこのデビュー作ではまだ粗削りな部分もありますが、濃厚な味はすでに異形のソレ。電子音がいくらでも肉感的、衝動的になれる、その可能性を切り拓くという意味では切り口は違えども NIN と同種の野心を強く感じます。




16. 岡村靖幸 「靖幸」

靖幸

「家庭教師」前夜にあたるこの作品の時点で、もうすでに岡村ちゃんの心中はすっかりカオスの様相を呈しています。「ラブ タンバリン」や「だいすき」では思春期の純真そのものと言える輝かしい高揚感に満ち溢れ、「どんなことをして欲しいの僕に」「聖書」ではその純真のちょうど真裏に潜む情欲でギトギト。全ての詞曲アレンジ、プロデュース、演奏もほぼ全てのパートを自らが手掛けるという現在のスタイルを確立したという意味では、今作が本当の意味でのファーストと言えるかもしれません。ナルシシズムが拗れすぎて張り裂ける寸前(もしくはアウト)まで来た魅惑の岡村ちゃんワールド。




15. 筋肉少女帯仏陀L」

仏陀L(紙ジャケット仕様)

ひどくアンバランスな作品。まあ筋少がアンバランスで無かったことがあったかと言われれば答えに窮するのですけども、このデビュー作は特にそう。すでに新人離れした技量を誇るバンド演奏は、メジャー一発目ということもあってかライブでの熱量をそのまま持ち込んだ勢い。そしてオーケンの歌はエナジー漲りすぎて音程そっちのけ、終始上擦りっぱなしで聴いているだけでモテなくなりそう。エディの荘厳なピアノを切り裂くようにして始まる「モーレツア太郎」では「老人の声を気にせず 子供達に歌え」とあるが、ジャケ写では何故か朗らかな老婆に囲まれて実に居心地悪そうだ。俺はそんな筋少を愛してる。




14. GASTUNK 「DEAD SONG」

DEAD SONG(SHM-CD EDITION)

メタル/パンク/ハードコアといったヘヴィネス由来の音楽性が渾然一体となり、結果的にメタルコアの先駆けという見方もされる楽曲群は、各メンバーのこれまでの経歴や嗜好がダイレクトにフィードバックされたが故のものだと思います。ただそういったジャンル云々の話以前に、ひどく生々しく泥臭い音像も相まって、まるで地下室の中で手負いの獣が鎖を引きちぎらんとしているような、怨念と言っても良いくらいの凄まじい衝動が渦を巻き、その生き急ぐ気迫に終始圧倒される。それでいて BAKI のヴォーカルにはそこはかとない艶めかしさもあり、その存在感はすでにどの枠にも収まり切らない規格外のもの。




13. ILL BONE 「死者」

死者

このリストの中ではおそらく最もオブスキュアな存在かもしれませんが、同時に最も奇跡的な作品でもあると思います。元々ストーンズやクリームを素養とするバンマス中田潤の元に集まったのが、ポストパンク方面にどっぷりのギタリスト、生粋のパンクスのベーシスト、そしてジャズの影響を受け始めたところのドラマー。そのメンツで歌モノをやろうというコンセプトで制作されたのがこの作品。ふくよかなリズムを傷つけるようにして殺伐としたギターが鳴り響き、戦争や国家の影をテーマとした歌は沈痛そのもの。きっとメンバー自身にとっても多分に偶発的だった、決して目を背けるべきではない闇の表出。




12. 非常階段 「MODERN」

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アルバムジャケットは Peter Hammill「Nadir's Big Chance」のパロディとのことですが、数ある非常階段のジャケットパロディの中でも特に優れたセンスだと思います。これまでの人生の中で辛いことや悲しいこと、厳しい局面などは数えきれないほどあった。しかしその中にもささやかな幸せは同じほどあり、その微かな煌めきを決して諦めずにいるからこそ、人は生きていけるのだと思います。その幸せの断片を忘れないように大切にと、事あるごとに記録として収めた写真の数々をアートワークに活かし、暖かなノスタルジーと未来に向かうための生命力、その集積を音楽として描き切ったのが今作です。




11. 戸川純玉姫様

玉姫様

上記のヤプーズではシンセポップという音楽性を意識してか、自身の経験、出自を SF モチーフと絡めた表現が主となっていました。この初ソロ作ではそのコンセプトから解放され、古風で文学的な修辞を交えつつも、その言葉の端々からは彼女の脈動がダイレクトに伝わるような生々しさ、内なる衝動の激しさが迸っています。箱入り娘のまま未来への希望を閉ざされかけていたかつての自分を投影した「蛹化の女」、生理という現象を通じて女性のみが持ち得る衝動を神秘的と描き切った表題曲「玉姫様」、そしてマグマのような情念の塊をアンデス民謡の哀愁に乗せた「諦念プシガンガ」。疾風怒濤の人間味。




10. DEAD END 「shámbara」

shambara[+2]

「DEAD LINE」でジャパニーズメタルの最右翼としてデビューしながらも、アルバム毎に少しずつ音楽性を変化させ、1989年の「ZERO」ではヴィジュアル系、ひいては J-ROCK におけるひとつの雛型をこの時点ですでに創り上げていた、という事実にも驚かされますが、その「DEAD LINE」から「ZERO」へと至るグラデーションの中で、ちょうど中間部の絶妙な色彩を持ち、それ故にバンドの持つ異形さが一際目立っているのがこの作品です。エキゾチックな妖艶さと獰猛な獣性を備えた「Embryo Burning」のような HR/HM 曲が頭を飾る一方で、後半「Blind Boy Project」や「I Can Hear the Rain」ではニューウェーブ色のポップネスが表出。この一連の濃密な流れこそ彼らの真骨頂でしょう。




9. 暗黒大陸じゃがたら 「南蛮渡来」

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これ以降にリリースされた「裸の王様」「ニセ予言者ども」ではアフロファンクバンドとしての方向性を確立し、文字通り時代を超えて支持される音楽性とメッセージを残しているわけですが、それらに比べるとこの作品は多種多様なアイディアが未整理で、ひどく粗削りな印象があります。ただ物理的な音の躍動感以上に並々ならぬ気迫を感じると言うか、その瞬間のテンションを生々しくパッケージした風速の凄まじさという意味では今作が一番。時期的には江戸アケミがスプラッタなパフォーマンスを辞めてから精神的に失調をきたすその間、The Pop Group とも Talking Heads とも違う独自の多国籍ミクスチャーを目指し、「クニナマシェ」などは極楽と地獄の綯交ぜのような様相に。




8. Z.O.A 「HUMANICAL GARDEN」

Z.O.A HUMANICAL GARDEN (12

音楽性のみならずアティテュード的にプログレッシブで在ろうとするバンドばかりが揃っていたトランスレコードの中において、Z.O.A は所謂プログレッシブメタルの要素を比較的明確に打ち出したバンドであり、国産プログバンドの古参のひとつという見方はもちろん出来ます。ただそれだけではとても説明がつかない。鋼鉄製の鞭をしならせるような強靭さとしなやかさをメンバー全員が兼ね備え、純粋なフォーピース故にその各々の卓越したプレイが際立つアンサンブル。しかし森川誠一郎の断末魔のようなナイーブなヴォーカルが曲全体のカラーを決定付けているためか、マッチョあるいはインテリという印象よりも刹那的、狂気的な危うさの方が先に来る。肉体性と美意識の軋み音。




7. P-MODEL 「Perspective」

PERSPECTIVE (SHMCD)

どの音楽ジャンルでもオリジネイターがそのスタイルを早々に打ち棄ててしまうというのはよくある話で、かつてテクノポップ御三家などという呼称が使われていたのも束の間、PLASTICS は早々に解散し、ヒカシューP-MODEL は最初のアルバム数枚でテクノポップに見切りをつけて方向転換しています。それはいずれのバンドもテクノポップというものを「目的」ではなく、先進的な自己表現を試みるための「手段」として捉えていたからだと思いますが、特にこの頃の P-MODEL はその先進的であるべしという思想に凄まじい加速度、緊張感が漲っていました。爆破音のようなドラムサウンドを先導として複雑骨折したファンクネスを錬成した、シュールかつ鬼気迫る大怪盤。




6. BOØWY 「BEAT EMOTION」

BEAT EMOTION(紙ジャケット仕様)

伝説と持て囃される一方で、不良、ワイルドといったロックバンドとしてあまりにも定型的なイメージが先行し過ぎているという意味では、このリストの中で最も過小評価されているのは BOØWY かもしれません。確かにそういったイメージや、当時の歌謡曲テイストが悪い意味で時代を感じさせてしまう部分もありますが、それ以上に一切の無駄を削いだアンサンブルの強固さ、そして布袋寅泰の卓越したギタープレイと音楽的インプットの豊富さに唸らされます。ビートルズ以前のロックンロールからグラム、パンク、そしてニューウェーブへと至る時代の流れを収斂させた楽曲は、むしろ今でこそ驚かされる場面が多い。個人的には明快なポップネスを目指すことで的が絞られた今作が頂点。




5. THE BLUE HEARTSTHE BLUE HEARTS

THE BLUE HEARTS(デジタル・リマスター・バージョン)

上の BOØWY が最も過小評価されているバンドなら、THE BLUE HEARTS は最も過大評価されているバンドだと思います。過大評価と言うか、神格化され過ぎている。ヒロトマーシーは過去の栄光に縋ることなく今も現役でロックバンドを演り続けているわけで、本当に彼らを愛しているのならばブルハではなくザ・クロマニヨンズを、現在進行形の彼らを聴くべき。ただ歌詞も楽曲も意味性を排除してどんどんプリミティブと化している現在の彼らには無い、若さ故のナイーブで衝動的なメッセージ、青白い炎の煌めきばかりがここには詰まっており、その痛々しい美しさに触れているだけで何故だか少し特別な気分になってしまう。ここにあるのはただの歌。ひどく純朴で切実な。




4. INU 「メシ喰うな!」

メシ喰うな (SHMCD)

この INU 唯一のオリジナル作はジャンル的にはパンクの括りで紹介されていることが多いように思いますが、少なくとも音楽性だけを取ってみればすでにパンクの領域からは盛大にはみ出しまくっています。異様にキメ細かやかな鋭角グルーヴとフリーキーに展開しまくるギターワークはむしろポストパンクのソレだし、若くしてすでに熟達し過ぎている。しかしながら当時19歳の町田康はジャケットの顔つきから分かるように完全にキレまくっており、窒息寸前のような上擦った声でユーモアをたっぷり交えながら、ありふれた慣習や価値観、世の人全てに対して辛辣な悪態をつきまくる様は、それこそパンク侍たる愉快痛快な存在感。言葉さえあればパンクは出来る、その奔放さよ。




3. THE STALIN 「STOP JAP」

STOP JAP (SHMCD)

これもまた色々と曰く付きの作品です。多くの歌詞の修正を要求され、音的にも望むものを得られなかったと遠藤ミチロウは述懐しており、その点でこれをスターリンの代表作として挙げるのには抵抗がなくもない。スターリンとしての濃さを求めるなら前作の「trash」を、純粋にハードコアパンクとしての切れ味を求めるなら次作の「虫」を選ぶのが妥当でしょう。しかしながらスターリンというバンドが何物かを端的に把握できるという意味では、やはり今作が一番だと思います。「ロマンチスト」を筆頭に和製ならではの深遠なポップネスが際立ち、演奏は快活。しかしそれと真逆を行くようにしてミチロウの言葉のひとつひとつは耳の奥にベタリとへばり付き、自分の中で開けてはいけない扉が開くような感覚に襲われる。あまりにも鋭利な極上のブラックジョーク。




2. X 「BLUE BLOOD

BLUE BLOOD REMASTERED EDITION

宿命のアルバム。リリースから年月を経て後天的に付加価値が生まれた作品は数多くあると思いますが、これほどに巨大な尾びれ背びれがつきまくったものは他に無いでしょう。もちろん今作の音楽性だけを切り取って見れば、海外のネオクラシカルメロディックスピードメタルなどとはまた違ったテイストでメタルとクラシックを融合させ、それこそ高校野球ブラスバンドに使用されるほどのポピュラリティを産み出したのは奇跡的な手腕だと思います。ただそれと同時に、破滅的なパフォーマンスや数々のスキャンダラスな言動といった面でも、「瞬間的に華やいで散る」というロックバンドにとって理想的な偶像としてのイメージを追求し過ぎた結果、ファンや後進のバンドマンのみならずメンバー自身の運命すらも狂わせてしまった。この作品に起因する痛みや悲しみはもはや計り知れないものとなり、結果的に今作は誰にも、おそらく本人達にも越えられない壁と化してしまいました。




1. ゲルニカ 「電離層からの眼差し」

電離層からの眼差し

彼らのデビューに携わった細野晴臣は「日本のポップスがここまで来たのかという思いを忘れてはいけない」という言葉を彼らに寄せています。それほどにゲルニカの音楽はあまりにも極端であり、他の誰をも寄せ付けず断絶された孤島のように佇んでいます。元々彼らのコンセプトは結成の時点ですでに完成されていました。上野耕路によるクラシックやジャズと戦前歌謡を融合させた音楽性、太田螢一のシュールかつ力強い文体の歌詞世界、それらは全て戸川純という舞台女優の魅力を十二分に引き出すための演出装置。綺麗に役割分担された三者が各々の仕事を全うし、結果的に生まれた楽曲はレトロスペクティブでありながらどの時代、どのシーンにも属することのないモノリスのような存在感を持つに至りました。そのオリジナリティの権化のような魅力が煮詰まる所まで煮詰まったのがこのラスト作。序文にも書いた通り自分は上記の作品を全て後追いで聴いているわけですが、この作品だけは80年代へのノスタルジーを超越し、聴いている間は全く別次元の世界を探求しているような心地にさせられる。それは今後二度あるだろうかという貴重な体験だと思います。